2021-05-25 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第14号
今年の一月に、大臣の顔写真を使って大臣のお名前を使って大臣のその肩書を使って偽アカウントから、共通試験が延期されますよというようなツイッターが上がりまして問題となりました。そういったサイバー空間での著作権、肖像権というものも大変問題になってきておりまして、文科省のアイコン、ロゴマークなども利用されるケースが相次いでおります。
今年の一月に、大臣の顔写真を使って大臣のお名前を使って大臣のその肩書を使って偽アカウントから、共通試験が延期されますよというようなツイッターが上がりまして問題となりました。そういったサイバー空間での著作権、肖像権というものも大変問題になってきておりまして、文科省のアイコン、ロゴマークなども利用されるケースが相次いでおります。
大学の共通試験が迫っています。受験生の不安も募っています。受験生に対する配慮方針をもっと政府は明確に発信すべきだと思います。 例えば、当日、体調不良なんだけれども原因が特定できずに受験会場に入れなかった場合や、家族が感染して濃厚接触者になってしまった場合、いろいろなケースが考えられますけれども、今の基本方針では明確な表現が余り見受けられません。
○萩生田国務大臣 大学入学の共通テストは、国公私立大学が入学者選抜に利用することのできる共通試験として大学入試センター試験にかわり実施するもので、来年の一月十六日、十七日を実施予定日としております。
もちろん、全ての日本の子供たちが英語の能力、堪能になってくれればそれはそれでこしたことはないんですけれども、やはり全員に、お尻をたたいていく、もちろん五十万人、共通試験、記述式などでしたら受けるわけですけれども、数十万人以外の大学に進学しない子供はいるわけなんですが、それでもやっぱり世の中の風潮として、英語はやらなくてはいけないものなのだという認識を植え付けるというのはやはり危険なことなのだと思っております
普通であれば、記述式も共通試験にこだわる必要はない課題なんだと思うんです。論文形式というのは、それぞれの大学のいわゆる個別のアドミッションポリシーによってそれぞれつくられているわけで、それをやっているところとやっていないところがある。特に私立の部分については、それがやられていない。
それが、例えばさっきの英語の四項目について、共通試験でやって、大学によって、それを採用している大学、そうでない大学がある。今、出た数字でいくと、大学自体にその意思がないというか、そういうところでとまっているということだと思うんですね。だから、その基本が私はずれているんじゃないかと思うんですよ。
○宮路委員 個別試験だけではなく、共通試験においてもやはり記述式を求めることがふさわしい、そういう議論を重ねた結果の考えだということでありましたけれども、しかし、記述式については、本委員会でもこれまでの質疑においてさまざまな課題が指摘されているところであります。 まず、その指摘されている課題について文科省としてどのように認識しているのか、お伺いをしたいと思います。
それから、大学独自の二次試験というよりも、論文、面接を二次試験でやるだけで、あとはこの一次試験の共通試験を基本にしていくということ。こんなことがそれぞれ大学によってあるというふうに思うんです。 私は、基本的には、英語の試験の場合もそうなんですけれども、二次試験と一次試験の機能というものを前提にして、こうした記述式という形をどこに入れるかという議論がまず欠けているんじゃないのか。
○中川委員 もう一回確認しますけれども、何でそれだけ一次にこだわるんですか、共通試験にこだわるんですか。その理由は何ですか。
請負ではなくて、どちらかといえば元々あった既存の民間の試験を、言うならば、それを軒先を借りて共通試験にするという仕組みをつくりましたので、そして、それはあくまで対等な協定という形で行ってまいりましたから、問題点は幾つも承知をして、何とか改善できないか、大学入試センターに我々文部科学省は強く言うことができました。
その中で、事によると、この共通試験という枠組みじゃないけれども、予定どおり外部の試験を採用して受験をやりますよという大学もある可能性が十分ありますので、その辺については直ちに整理して、ちゃんと大学の方からも告知をしてもらうような手続も今行っているところでございます。
○赤池誠章君 養成段階、これ、歴史的に言えば、国立大学が中心となって各地域でやっていただいたり、また当然私学も重要でありますけれども、やはりきちっと養成段階、機能強化するために、国立大学、教育大学であったり教員養成学部のやっぱりしっかり統合再編も踏まえて、見据えて機能強化を図っていただきたいと思いますし、採用段階はやっぱり共通試験、各教育委員会、毎年毎年の問題大変でありますから、やっぱり一次試験みたいな
外部の資格・検定試験の受験が前提になるようでは、そもそも、共通試験、なぜ必要なのかということになりかねません。 これは昨年質問させていただきましたが、今後実施される高等学校基礎学力テスト、その結果が将来的には大学入試に活用される可能性もまだあるわけで、その上で、英語に関してはさらに外部の資格・検定試験を受けておく必要もこのテストでは存在をします。
今回の改革、少なくない大学が極めて冷ややかに眺めているような印象を持ってしまいますが、共通試験への記述式問題の導入について、そもそも大学側からの需要、やってくれという声はあったんでしょうか。
だから、そこで一つ私に疑問が大きく上がってまいりましたのは、この法案を作られるまでの審議会で介護福祉士の資質向上のための共通試験導入というものが求められておるわけでございますが、その対価として業務独占なり介護保険制度の中の加算の担い手というものを介護福祉士で担わしていこうとする提案というものがなぜなされなかったのか、なぜそこで条件的な闘争はされなかったのか、これ一番に疑問が出てまいるわけでございまして
特に、歴史教科書は植民地支配や奴隷貿易を正当化する内容に変わり、学校選択制とリンクをした全国共通試験によって、番付が低い学校は予算を削られ、最終的には廃校処分も生まれたと聞いています。子供も学校も教員も激しい競争を要求され、その結果、国際社会の批判を無視してまでイラク戦争を遂行できる強い国家、そしてそれを支える品質の高い国民、これが育成されたと言われているんです。
この大学入試センターの行っております共通試験といいますものは、これは言わばそういう民間企業で行うような言わばものではなく、あくまでも初等・中等教育に対する影響も考慮し、大学入試ということの言わば基礎的な学力を見るという観点から広く、まあ基本的に独立行政法人である入試センターにおいて行っているものでございます。
また、各大学の個別試験につきましても、共通試験と同じ科目を課すことは受験生にとって過度の負担であると、こういう考え方に基づきまして、文部省で昭和六十二年以降、毎年、各大学に通知をいたします大学入学者選抜実施要項におきまして、大学入試センター試験利用大学につきましては個別試験の受験教科・科目数の削減を求めてきたと、こういう経緯でございます。
ロースクールに入るに当たって、LSATという共通試験のようなものを導入して多様な人材を確保したらどうかということを政府参考人は言っているのですが、須網参考人に、このLSATというものに、どういうふうな形でロースクールに入る人を選抜をするのかということ。二つ目は、私は、ロースクールと司法試験って何か高校入試の一発試験と内申書にちょっと似ているような気はするんですね。
そういう中で、アメリカでは御承知のようにLSATという共通試験が行われておりまして、それに似た仕組みを導入することによって多様な人材を確保できるのではないかということが検討されております。
世界共通試験というのがあるわけでもないんでしょうが、これは例えばこの分野において世界の研究の拠点になっているとか、多分そんなことだと思うんですが、それは何で選ぶのか。 例えば「ネーチャー」みたいな学術誌に何回載ったとか、どのぐらいいい論文を発表したかとか、あるいはノーベル賞学者を何人出すとか、そういうところはどういう基準で考えておられるのか、お答えを、どなたでも結構ですがいただきたいと思います。
これは国際共通試験ですけれども、世界じゅうのノンイングリッシュ・スピーキングの人が受けているわけです。これはアジアの中でもいつも、日本か北朝鮮か、この辺がびり争いをしているのですね。これは、日本は受ける人が多いからこういう点数になるかというのは、これは理由じゃありませんで、韓国の方がもっと受ける人が多いんです。でも、日本よりは平均点は高いんですね。
公認会計士も税理士も同じ会計職務に携わるものとして考えた場合、例えば、同一の試験科目である簿記だとか財務諸表は共通試験で実施したらどうなのか。その上で、税理士の資格を持っている方が、ある意味で特恵を与えることによって、一つ一つ科目合格制、こういう制度は導入することができないのか、このように素朴に思うのでございますが、この点についてはいかがお考えですか。
それにしましても、今御指摘がありましたように、税理士試験の科目であります簿記と財務諸表論については、例えば共通試験をするというようなことが考えられないかという御指摘でございますけれども、共通試験をするという場合に非常に難しい問題がございますのは、やはりおのおのの、税理士なりあるいは公認会計士業務ということの観点から見た試験の内容というものがあるわけでございまして、それをどのように調和させるかという問題